お昼にサツマイモを蒸して、父を思いました。
父はサツマイモが大嫌いです。
見たくもないほど、
嫌いだそうです。
姉がうっかりスイートポテトを差し出したときには、
「俺に芋を食わせたのか!」
と、怒るほど、サツマイモが大嫌いです。
それもそのはず。
父は新潟の農家の出で、
毎日の食事が、蒸したサツマイモでした。
当時のサツマイモは今よりも甘くない種類だったようで、
とにかくお腹を膨らませるために
子供に食べさせる家庭が多かったそうです。
そんなサツマイモ大嫌いな父の娘の私は、
スーパーで198円のサツマイモを買ってきて、
蒸していました。
たったそれだけの「当たり前」の中に、
両親がかけてくれた努力と愛情を、
強く感じました。
パンツすら姉のお下がり。
そんなお金がない時代もあったけど、
毎日遅くまで働いて、育ててくれました。
おかげで今の私は
「サツマイモが入ったお弁当」や「スイートポテト」を見ては
「美味しそう」と感じられる。
父にはないものを、
私の人生に与えてくれました。
何かを買ってくれたり、
やりたいことを自由にやらせてくれたり、
そんなわかりやすい形ではなかったけれど、
私がいま受け取っている 「当たり前」 は
両親からのギフト。
2人の人間が、
何年もの時間と努力と思いを
注いでできている。
「人は一人では生きられない」
というのは、本当ですね。
私の中に、両親の思いがあります。
感謝。
コメント